
「やるなら完璧にやりたい」
「中途半端なら意味がない」
「失敗するくらいなら、最初からやらない方がマシ」
こういう考え方を持っている人は、一見すると真面目で向上心があるように見えます。
でも実際には、その考え方が人生をかなり不自由にしていることがあります。
0か1かで考える人は、白か黒か、成功か失敗か、できるかできないかで物事を判断しがちです。
そのため、少しでも不確定要素があると止まる。少しでも理想から外れると自分を責める。少しでもうまくいかないと「やっぱり向いていない」と結論づける。
これでは苦しくなるのも当然です。
0か1思考は、向上心というより防御反応であることが多い
多くの人は、完璧主義を良いものだと思っています。
でも現実には、完璧主義の中身は向上心より「失敗したくない」「恥をかきたくない」「ダメな自分を見たくない」という防御であることが少なくありません。
つまり、前に進むための考え方ではなく、傷つかないための考え方になっているわけです。
たとえば、ブログを書きたいのに公開できない人。
副業を始めたいのに準備ばかりしている人。
人に相談したいのに、きれいに言葉がまとまるまで黙ってしまう人。
こういう人たちは、怠けているのではありません。失敗や評価への反応が強すぎて、動く前に止まっていることが多いのです。
見た目は「慎重」でも、実態は「止まっているだけ」です。
ここは少し厳しく言うと大事なので言います。動いていないものは、どれだけ立派な理由をつけても進んでいません。
現実は0か1ではなく、だいたい途中経過でできている
現実のルールは、私たちの頭の中よりずっと雑です。
最初から100点の人なんて、ほとんどいません。むしろ60点、いや40点くらいで出して、反応を見ながら直していく方が普通です。
料理だって、最初から一流の味にはなりません。
人間関係だって、一度で完璧な距離感は作れません。
仕事だって、やりながら覚えることばかりです。
それなのに、自分にだけ「最初からちゃんとできること」を求めると苦しくなります。
しかも厄介なのは、この考え方を持っている本人ほど「ちゃんとやりたいだけなんです」と言うことです。
いや、ちゃんとやりたいのはいいのですが、その“ちゃんと”が現実離れしていると、ただの足かせになります。
0か1思考の人が見落としやすいのは「2も3も4もある」ということ
0か1思考の世界では、できなければ終わりです。
でも本当は、0と1の間には無数の段階があります。
少しできた。
前よりマシだった。
全部は無理でも一部はやれた。
怖かったけど着手はできた。
前回より早く立ち直れた。
こういう中間地点を認識できるようになると、人はかなり楽になります。
なぜなら、変化はたいてい一気に起きるのではなく、細かい改善の積み重ねで起きるからです。
0か1で見ていると、変化しているのに「まだダメ」と判定してしまいます。
すると、せっかく進んでいるのに自分で自分のやる気を潰します。もったいない話です。
苦しさを減らすには、完璧を下げるより行動の単位を下げる
ここで「じゃあ適当にやればいいんですね」と極端に走ると、それも違います。
必要なのは雑になることではなく、行動の単位を現実的にすることです。
記事を書くなら、まず見出しだけ。
相談するなら、全部整理してからではなく一文だけ送る。
片づけるなら、部屋全体ではなく机の上だけ。
発信するなら、完璧な投稿ではなく短い一本だけ。
このくらい小さくすると、脳や身体の反応が「それならやれるかも」に変わります。
人は理屈だけでは動きません。動ける大きさにすると動けるのです。
「100点じゃないと出せない」ではなく、「60点で一回出して反応を見る」。
この考え方に変えるだけで、停滞していたものが一気に流れ始めることがあります。
人生を変える人は、完璧な人ではなく修正できる人
変わっていく人は、最初から何でもできる人ではありません。
やってみて、ズレたら直す。うまくいかなければ条件を変える。反応を見て調整する。
この繰り返しができる人です。
逆に苦しくなりやすい人は、最初の一回に人生をかけすぎます。
一回で成功しないとダメ。失敗したら向いていない。恥をかいたら終わり。
そんなふうに考えていたら、そりゃ重くなります。
でも現実は、そんなにドラマチックに判定していません。
あなたが一度うまくできなかったくらいで、世界はそこまで騒いでいません。安心してください。たいてい周りは、あなたが思うほど見ていません。
もし今、生きづらさの中に0か1思考があるなら、今日やることはひとつです。
完璧を目指すのをやめることではなく、途中経過を認めること。
そして、小さく動くことです。
人生は、100点の決意より、60点の行動の方が変えてくれます。