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抽象度高すぎでみんな大混乱の愛とは?

みんな愛が欲しいとか、愛して欲しいとか、いろいろ言っているけど、きっと愛の定義は人それぞれ。それを披露しないで、愛してって言われても、どうしていいか、戸惑ってしまうんじゃないかと思います。

酷い話だったら、愛しているならこれをやってくれ! みたいな使い方をされることもあります。でも、そんなものですか? 愛って。

愛を定義します。

愛は、足したり引いたりせずにそのままを認めるってことだと私は習いました。先生、ありがとう!

ということだから、受け入れるとかは過剰です。全ての人を受け入れることはできないだろうし、嫌いな人は愛せないって事になってしまいます。これでは、小さなレベルの愛(ほとんど性愛とか恋愛)になってしまうので、好き嫌いができて、これは分離へ至ります。

分離していると言うことは、嫌なものには目をつぶりなかったことにしたりするので、自分に嫌な部分があると、100%自分と向き合えないと言うことになります。

愛は一つであって分離しないものですから、好きも嫌いも全部愛するが基本線。そのときに、もし愛が受け入れるだったら嫌いなところを受け入れることになるので、それはできないでしょう。でも、もし愛が認めるだけだったらできるんじゃないかな? 認めることからよく観察したり考えたりすることができるようになります。遮断とかも分離ですが、認めると遮断とは違う段階へ移行します。

そんな風にしていろんな人を眺めると同時に自分の内面を見つめることになって、自己理解が進みますし、愛があれば少々嫌なことでも全体として認めていけます。

愛の定義をまとめると、

  1. 足したり引いたりせずにそのままを認める。
  2. 好き嫌いなどの分離しないで、認める。

といったところでしょう。

愛の定義を使って世界を見てみる。

大好きだった彼氏、段々嫌なところが目につくようになってケンカの毎日。こうなるとどこかでリカバーしないと破局へ向かいますが、嫌いなところばかりが目につくので中々いいところを見いだせません。でも、嫌いなところは彼の一部分とわかってくるとどうでしょう? 隠れていた、実は最初から好きだった部分があることに気がつきます。そうしたら、関係は修復できますよね?

攻撃的な上司。攻撃しないでしょうか? 彼が攻撃しなければならない理由がどこかにあります。自分の立場を守る、できないと思われたくないとか、家族を守りたいのかも。もちろん、攻撃を正当化する理由にはなりませんが、人の裏には意図があります。意図の出所が見えてくれば、対処方法が見つかります。一側面だけを見ないで全体を見る。分離させないで見ていきましょう。そうすると解決策が見えてきます。

いつも自分を攻撃してくる友人。友人なのに攻撃してくるのかという部分もありますが、もしかしたら、それはあなたの攻撃性を反映しているのかも知れません。要はあなたが気にしていて、その部分が認知として拡大して見えてしまう現象です。自分の中が分離している人は攻撃に遭っているように感じることが多々あります。でも、愛が分かってきて、愛の状態に留まることができるようになると、周りの人は実は友好的でいい人たちだって見えてきます。内面を調整して愛の状態へ移行しましょう。そうすれば、毎日が変わります。

愛がなかった頃。

子供の時代や30代前くらいまでは、誰でも自己中です。自分のことに興味があって周りの人も自分と同じ意見だと錯覚しがちです。それだとすれ違いが起こって、認めてもらえない、傷つくなんて事が続きます。相手を認めていなかったんですね。

相手を認めていくと相手からも尊重されるようになります。50代でも相手を認めない人多いですが、結構、孤独ですね。せめて相手の人格は認めてあげましょう。やっていることがマズイ場合は注意したり、アドバイスはいいと思います。

愛がないとどうしても、メリットデメリットで恋愛をしたり、利用したり利用されたりの道具の関係になります。そこには楽しさはあっても幸せはありません。突然襲ってくる孤独感や辛さなんて、まさにそれですよね。

愛があれば、不足感がないからみたされます。ただ存在するだけで楽しくなります。

でも、ここには天敵がいます。エゴちゃんです。エゴは常に罠を張り、刹那的な快楽へ誘います。いい話もそうでしょう。でも、飛びついて直ぐに状況が暗転します。エゴの罠は、良さそうに見えるけどそれを選択したところで何に得られないのが普通です。多くの流される人はエゴの罠にはまります。

  • 大事な人と別れて別の人のところへ行く。でも、良くないことが起こって後悔する。
  • 条件がいい職場だと思って言ったら、キャリア的には最悪で状況が悪くなる。
  • 辛すぎて逃げても、辛さは変わらなかった。

そんな風になります。

愛があれば安定感が出てきますので、寂しさで何か行動を起こすこともなくなっていきます。

でも、エゴちゃんは巧みなので、常にトラップがあります。それにハマらないように日々、注意しながら自分を伸ばしていく必要があります。

そもそも、エゴの罠は日常なので意識を保たなくてはいけない。

集中力が切れてくるとどうしても、エゴの罠にはまりやすくなります。ダイエットしてるはずなのに、甘いもののドカ食いしてたり💦 自分の行動を常に振り返って、行動に問題がないかを見ていくことが必要です。

行動は心みたいに不定ではないので、やった結果です。だから、記録しておけば振り返りやすくなります。ですが、後ろめたさがあると、さっさと忘れるようになっています。都合が悪いですからね。

日々、意識してエゴの罠かどうかを考えて選択するようにしたら、数は激減しますので、やってみましょう。その結果、未来に繋がる行動ができるようになります。

私も途中で気がつきました。

恋愛武勇伝は知っている人は知っていますが💦 それも愛の欠落です。正直分からなかったし、楽しい時間を過ごすことがいいことだと思っていました。アリとキリギリスの日本版みたいな話です。

キリギリスは唱って楽しんで過ごす。そのときはいいけど、寒い冬になって食べるモノがないって話ですね。アリに助けて貰うならそれもアリですが(笑)

人間に置き換えると、遊んでばっかりいてもいいことにはつながりません。エンタメスキルは上がっても将来が不安になったりしますね。

私の場合は途中で気がついたので方向転換しましたが、まだ転換できていない人は、早く転換した方が良いでしょう。行動方針が変わります。

考え方一つで、世界は変わって見える。そして・・・

愛の視点で世界を見るだけで、認知するモノは変わっていきます。その繰り返しをすることで発見がたくさんあります。

感じるもの、見えるもの、聞こえるものが変われば考えることも変わりますし、言動に変化が出てきます。分離から攻撃していたことが攻撃ではなく、それ以外の選択肢に変わります。

そうすると、周りの人の態度が変わります。そういう場面をたくさん見てきました。

人を変えることは難しいかも知れません。でも。

自分が大らかで優しくなることで、対人関係は大きく変わります。中々大らかになれない人は、執着や怒り、悲しみを抱えていることが多いです。これも愛の前では無力ですが、それを経験したことがなければ分からないでしょう。

まず、感情面からアプローチしてざわつきをやめていきましょう。そのためにはエモーションフリーが効果を発揮します。そうすると、それだけでも人間関係が大らかになって行くので、その中で愛を見つけるのは容易かも知れません。

愛を体現するために

不安定な定義のない愛をやめて、ここで書いている愛の定義でしばらく過ごしてみてください。そして、愛が分からないときは愛のある人を探して観察してみましょう。