相手を認めることで、絆を作ることができる。その絆とは?
よく、楽に生きる為に、次のことをいっています。
「人は自分の為に生きていて、あなたの為に何でもするわけではない」
これだけ聞くと、みんな個人主義で殺伐としそうですが、そうではありません。
期待をしないことで、過度の要求をしなくなるので現実的に物事が捉えられるようになります。
相手がいろいろしてくれなくても、相手の都合があると理解できますし、あなたも相手にあれこれやってあげなければ行けない理由がありません。
ですが、これでは繋がりのない関係を想像してしまう人が多いので、『ちがいます』といいたい。
この言葉、「人は自分の為に生きていて、あなたの為に何でもするわけではない」と人の絆は高次元で連携するものであり、まとまります。
依存度の高い人、相手への期待が高い人は、正直言えば、負担になることが多いです。恋愛において、重い人ですね。自分で努力することをせず、相手に寄り掛かって何でもやって貰おう、『やってくれないから私は幸せになれない』なんていう始末です。
依存は人の成長にとって必要なことですが、大人になってまでそれをやっているのは人間関係を破綻させます。恋愛初期なら、まぁ許されることもありますが、相手には相手の自由があり、あなた自身も人のコントロールされたり、人に使われて生きるのは嫌なはずです。
だから、相手を尊重し、自分もストレスを感じないような、関係性を作るのは、自立した大人同士が作るものであり、それはお互いを信頼した絆になって行きます。
そういう意味では、「大人になれよ」ということになります。
相手をコントロールしたい、成長しきれていない人は、相手を振り回し、妄想し、それがかなわないとなると、出口のない夜を過ごすことになります。ひどいのは、それが正しいと信じていて、相手を責め、周りの人にも同調を求めることです。
精神的に自立していれば、共有するところと違う部分に分かれていても、繋がり、絆は成立します。本来、そういうものであるし、夫婦であれ、恋人であれ、友人であれ、同じです。
私はよく『愛』の話をしますが、自分を認めること、相手を認めることが愛になりますが、嫌なところも引き受けることが必要です。
子供っぽく、全てとか全部ではなく、大人の場合は少々グレーも有りです。そのグレーゾーンを飲み込みつつ、関係を気づいて行きます。
実際、生きるってそういうことで、「清濁併せ呑む」ということになり、それでも自分を成立させて行くことになります。
そして、関係を育て、その中に幸せを見つけられたらいいですよね?
あなたはどの段階にいますか?
まとめると、「人は自分の為に生きていて、あなたの為に何でもするわけではない」と言う言葉の通りに、各人が大人であるを認めることができるなら、そこに大人の認めあう関係を作ることができます。
それは新しい絆になって行きます。